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仕事する技術は”目標・持続・価値判断”である 白川静・渡部昇一『知の愉しみ 知の力』より

仕事する技術は”目標・持続・価値判断”である

白川静・渡部昇一(2001)『知の愉しみ 知の力』致知出版社

この本は白川氏と渡部氏との対談である。

個人的に気になった点を2つメモしておく。
ひとつは、「白川流『仕事する技術』を聴く」のなかで、白川氏が仕事のやり方について以下のように語っている箇所である。

  • 「なるべく自分で気をつけて、規則的に生活をする。もう毎日の仕事は大体決まったスケジュールにしてやっている。」
  • 「すべて無理をしないということと、同じことを続けるということです。同じことを続けると摩耗も少ないし、消耗も少ない。言わば長持ちする。だから大体1日のスケジュールを決めておいてね。その通りにやります。」
  • 「もう判子押したみたいに同じことを繰り返していたら、何の苦もない。」

ふたつめは、白川氏が学問について、曾國藩『家訓』の引用、解釈している箇所である。

  • 1.志あるを要す
  • 2.恒あるを要す
  • 3.識あるを要す

「志あるを要す」

「志あるを要す」とは目標を持つということである。人が歩くとき、どちらの方に歩くかという方向を決めずに歩くことは不可能だということである。自分はどっちに行こうとしているのかをまず決めることが肝心ということである。

「恒あるを要す」

「恒あるを要す」とは、何でも持続しなければいけないということである。書物で読んだことを自分の身につけるためには、やはり繰り返さないといけないということ。同じことを常に繰り返してやるということである。白川氏は、書物を読むとき、重要なこと、いいなと思うことは書きながら読んだそうである。そして読み終わったときに書いた紙を見て復元してみる。それを二、三回やって覚えたそうである。

「識あるを要す」

「識あるを要す」とは、価値判断ができるということである。愚にもつかないようなことを一生懸命覚えても何にもならない。知識は断片的では役に立たない。一つの面積、できれば立体的、構造的になるのがよろしいという。単に分別するということではなくて、自分の持っている過去の知識体系の中に、それをどのように組み込むのかということである。単なる部分は消えてしまうけれども、全体の中の部分であれば忘れることはない。

この本に関連して思ったコメント

以前、読んだ忘却は創造を起こす力を生み出す 外山滋比古(2009)『忘却の整理学』筑摩書房を思い出した。

人はそれぞれ独自の知識体系を持つ。この知識体系は、それまでに得た知識や経験に基づくものと考えられる。この『忘却の整理学』では、ひとりひとりは関心度、価値観によって記憶がとり入れたことを、忘却により客観的で深層の関心度、価値観によって対象の選別を行ない、価値の少ないとされたものを忘れるにまかせ、あるいは忘れようとする、とある。すなわち、関心度と価値観、経験にもとづいた知識体系にきちんと位置づけらえた知識は記憶されるが、位置づけられなかった知識は忘れてしまう。『忘却の整理学』に書かれている「忘却には個性」があるということが、自分のなかで説明がついたような気がする。

  • B!