知的生活と時間論 渡部昇一『知的生活の方法』より
渡部昇一(1976)『知的生活の方法』講談社現代新書
知的生活の古典。初版は1976年。この本の中で書かれているように、何度も繰り返し読む価値がある本が古典である。
この本は、以下の6章から構成されている。
- 第1章 自分をごまかさない精神
- 第2章 古典をつくる
- 第3章 本を買う意味
- 第4章 知的空間と情報整理
- 第5章 知的生活と時間
- 第6章 知的生活の形而上学
第1章は精神論、第2、3章は行動論、第4章は空間論、第5章は時間論である。第6章は筆者の知的生活に対する個人的な思い・意見が率直に述べられている。
デジタル社会が進展するなかで、私たちの日常の生活環境が大きく変化しているが、40年以上前に書かれたこの本のどの章も、“知的生活とはどのようなものか?”ということを考えるヒントを教えてくれる。
ここでは、第5章の「知的生活と時間」について感想を述べてみたい。
この章のキーワードは、「静かなる持続」「見切り法」「たっぷりな時間」「半端な時間」である。この中の、「見切り法」は忙しい現代人にとっても活用できる時間管理法のように見える。筆者は、イギリスの言語学者W.W.スキートによる、「一つの単語の語源を一生懸命、三時間までは調べるが、それでもわからなかったものは「不詳」として先に進んだ」(p.158)という知的生活のスタンスを紹介しながら、「見切り法」について解説している。 100%の完成度は目標ではあるが、一生懸命努力したのであれば、80%でもよいから、先に進むことが大切であるということだ。これは、できるかどうかわからないことに投入してムダとなってしまう可能性のある時間を「見切る」方法として、示唆的な事例ではあり、誰しもが活用できる方法だと思える一方で、なかなか単純ではないように思う。
たとえば、その分野(どんな分野でもよいが)に詳しい人(玄人レベル)による3時間の努力と素人の3時間の努力の比較をするとわかりやすい。両者の努力の結果としてのアウトプットのクオリティは必然的に異なるはずである。素人は詳しい人の何倍も努力しなければいけないのは当然である。どんな分野にあっても、「見切る」を実践するためには、「見切る」だけの実力が必要なのだ。素人(初心者)が80%やったと思っていても、実は半分程度までしか到達していなかった、ということは日常的に目にすることである。つまり、この「見切り法」は誰しもが使えるものではなく、一定程度の実力をもつ人の高度な時間管理術なのである。
最初から見切り法を実践できる人はほとんどなく、見切らない努力を行ってきた人こそが、「見切り法」を実践することができるということでもあると思う。もちろん、人により、分野により例外はあるだろうが。