JR両国駅から浅草までの散策 2016年5月
久しぶりに連れ合いと散策に出かけてきた。JR両国駅から旧安田庭園、東京都慰霊堂、隅田川テラス、駒形橋カフェ、浅草。すべて徒歩なので疲れた。連れ合いは元気だ。
旧安田庭園の汐入回遊式庭園とは?
JR総武線両国駅から10分ほどの場所。入場料は無料。
元禄年間(1688〜1703)に築造されたと伝えられる。明治維新後は、旧備前岡山藩主池田侯の邸、その後安田善次郎氏の所有。1922年(大正11年)に東京市に寄附。関東大震災、
入口を入ると、新緑がすぐに目に入る。5月ということもあり、とても若々しい。
汐入回遊式庭園
ここは回遊式庭園。
回遊式庭園は、ヨーロッパや中国での基本的な方式。日本では、平安時代の貴族の庭が回遊式庭園の要素を備えていたらしい(寝殿の南に池をもうけた)。日本において、本格的にこの方式が出現したのは江戸時代の大名庭園においてであり、大きな池水を中心に複雑な回遊の苑路が組立てられ、園内を回遊しながら鑑賞できるように造られた。旧安田庭園でも、かつては心字池に隅田川の水を取り入れ、隅田川の干満を利用し、眺めの変化を鑑賞したそうである(「汐入回遊式庭園」と呼ばれる)。
確か、池波正太郎の小説にも、汐入の池をこしらえた金持ちの屋敷が登場したような気がする(多分・・・)。
▼心字池
あいにく曇りであったが、木々の緑、橋の朱のコントラストが美しい。
庭園の周辺はビル群である。
東京都慰霊堂
次に、東京都慰霊堂に向かう。
旧安田庭園の北側のはす向かいにある東京都慰霊堂は東京都の施設である。
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられた。現在は、昭和20年3月10日の東京大空襲などによる犠牲者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安している。
「公益財団法人 東京都慰霊協会ホームページ」より引用
実は、この慰霊堂がどのような建物なのかは知らなかった。庭園のすぐ近くということで行ってみた。中の写真はないが、震災と戦災の惨禍を語る多くの遺品や資料が展示されている。数人の方が供養にみえていた。
隅田川を間近に感じられる”隅田川テラス”を散策
東京慰霊堂から隅田川沿いの遊歩道である隅田川テラスに向かう。ここは、隅田川を間近に感じられる場所である。前方に見える水色の橋は駒形橋。
隅田川は、平安時代には、「住田河」や「宮戸川」などと呼ばれていたそうである。江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)とも呼ばれた。「大川」という名称は時代小説を読んでいると頻繁に登場するお馴染みの表記である。それ以降は、「隅田川」は千住大橋から下流の俗称として使われ、正式に「隅田川」となったのは1965年(昭和40年)のことである。
屋形船が浮かぶ隅田川の風景
屋形船から隅田川花火をみるためには、食事+飲み物+乗船で、約20,000円~35,000円程度かかるらしい。
どの屋形船も、予約開始時期はなく、インターネットで調べて電話で予約というのが通常の方法ということ。
駒形橋を渡り浅草へ
駒形橋から北方面をのぞむ。赤い橋は吾妻橋。
スカイツリーがみえる。
水辺のカフェ”カフェムルソー”
浅草にあるカフェでは老舗らしい。
カフェのテラスからの眺め
いよいよ浅草雷門へ
雷門近くの土産店で風鈴をえらぶ
人力車
1区間(1.2km,12~13分)、1人3,000円程度。俥夫は英語で案内できる方も少なくないらしい。